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NAOYA公認のインストラクターを紹介

NAOYA

NAOYA

HIP HOPダンス界の第一世代のパイオニア!
元ZOOの中心メンバー、Z☆Nダンスクラブ主宰

 

[以下、日本のヒップホップシーンを初期から知る音楽ライター荏開津広さんによるNAOYAプロフィール]

 
■1983年、まだ日本に新しいカルチャーであるヒップホップが多くの人々に知られていない頃、映画『フラッシュダンス』と『ワイルド・スタイル』を観てショックを受け、自分なりにブレイキング(ブレイクダンス)に興味を持つ。
 
1984年、日本でのヒップホップ・カルチャーの重要な出発点の一つ、原宿の歩行者天国でストリートのBボーイとして活動を始める。
 
NAOYAは東京で最初のブレイクダンス・クルーの一つ、”TOKYO B-BOYS”のファウンダーの1人である。    
 
ブレイクダンス自体が新しいだけに目が大技に眩まされがちなその時代に、NAOYAはステップ/スタイル(ファッション)/音楽すべての重要性に気がつき、カルチャーとしてダンスを捉えて黎明期の日本のシーンをニューヨークや世界に繋げ、また次の時代に導いた。その時期、数えきれないダンス・ショウへの出演や実演、モデル、そして風見慎吾のダンサーとしてのツアーにも参加した。1986年まで、NAOYAはブレイクダンスに集中し取り組んだとされる。    
 
1990年、しばらくダンサーとして沈黙したのちに人気を博していたテレビ番組『DADA L.M.D.』の公開オーディションに登場、圧倒的なパフォーマンスでコンテストに優勝する。優勝の結果、NAOYAは日本で最も成功したダンス&ヴォーカル・ユニットの一つ、ZOOの中心メンバーになった。
 
ZOOはグローバルに今では当たり前になったヒップホップ・ダンス&ヴォーカルの日本のショウ・ビジネス界での最初の大きな成功として、また正真正銘のストリートのスタイルを持っていたことで知られている。彼のZOOにおいての足跡は、その後の全国ツアー及びヒット曲“Choo Choo TRAIN”を含み、解散から20年後の2015年の日本テレビ番組『音楽は太陽だ』に一夜限りのZOO再結成で出演したダンスパフォーマンスでも、彼は衰えていない技を披露した。  
 
このように、まだまだヒップホップが知られていなかった日本にブレイクダンスを伝導したというだけでなく、NAOYAはショウビジネスの世界でのヒップホップ・ダンスでも成功した。
 
日本のヒップホップ・ダンスの歴史を振り返ってもこの双方を兼ね備えた例は極めて稀であり、現在、彼はダンス・スクールで後進やキッズ、日本のダンスの未来の指導にあたっている。
 
ストリートから出発したヒップホップが、グローバルにカルチャーに大きな影響を与えている21世紀、NAOYAの本領はまだまだこれからである。